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第四回勝海舟1

以蔵を書くとなど言っていましたが、龍馬伝で以蔵が死んでから2週間はど経つのでイマサラという気がするで海舟にします。

勝海舟1823年(文政6年)~1899年(明治32年)
untitled.gif



僕の考えでは幕府側の英雄は新撰組を除けばこの海舟でしょう。

結構好き嫌いある人物ですが僕は好きですねw
行動力が高い人間が好きなので、日清戦争も清国を侵略するより、共闘する方が良かったのかと思います。
奴隷より仲間の方が清国も信頼するでしょうし、もし、清国に攻め入られても清国と日本ならどちらが勝つかは見えてきますし。

通称麟太郎、本名義邦、安芳

貧乏旗本の子、麟太郎
麟太郎は1823年に旗本勝小吉の子として生まれました。
生まれたばかりの海舟を見た易者が「いずれ天下を動かす大人物になる」と予言しました父は疑いながらも大喜びをしたというエピソードがあります。
それが当たったんだから、この易者スゲェな・・・・

小吉のおばの阿茶の局にあいに、何と江戸城に行った時、将軍徳川家斉に気に入られ、病弱だった家斉の孫の初之丞(一橋慶昌)の遊び相手となります。

このおかげで幕臣となったのか?否、それは後で・・・・

塾の帰り道に、麟太郎は犬にかまれます。なんとキ○タマを・・
生死の境をさまよっていましたが、無事回復します。

そのとき、小吉はなんと毎日水垢離(神社の前で裸になって水をかけてお参りする)をして息子の回復を祈願したそうです。
そのおかげかもしれません。

男谷道場と島田道場
麟太郎はあの事件以後、身を守る術を身につけないといけないのかと思ったのか、小吉の従兄弟男谷誠一郎に剣術を学びます。

元来剣術の天性を持っていたのか、メキメキ腕を上げ、後に男谷の弟子の島田虎之助の道場で住み込みとして修行し、免許皆伝となります。また、島田の勧めで禅や蘭学も学んでいます。

慶昌の死と蘭学
何故、麟太郎が家臣になれなかったのかというと、簡単、慶昌がなくなったからです。
一橋家の6代目当主となった1年後慶昌が病死します。

島田の勧めで蘭学を学びます。
まずは蘭学者箕作阮甫の弟子となろうとするが断られます。そして、次は永井青崖を頼り弟子となります。
また、佐久間象山とも知り合い弟子になり、これからの日本について、学び驚愕します。

また、この時期に「ズーフ・ハルマ」という、蘭和辞書を欲しがり、赤城という人から借り1年かけて2部筆写します。このうち一部を売り、金を作り、その金で私塾海舟塾を作ります。

次回に続きます
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