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第二回高杉晋作1

第二回は幕末の長州の英雄高杉晋作です。

高杉晋作 1839年(天保10年)~1867年(慶応3年)

諱は春風、変名は谷梅之助など

そーいや、いうの忘れてましたがこのブログは人物の紹介→何をしてどう生きたか→僕の感想という風に進めていきます

高杉晋作といえば長州で一番人気のある倒幕志士で、奇兵隊を設立した人として有名です。

その異常な人気はどこから来るのか、それを見ていきたいと思います。

まぁ、結論を先に言えば行動力の高さですねw

takasugisinsaku.jpg
↑の写真を見てもらえば分かる通りた高杉は痩せていて、それでいて小柄で切れ長の目を持つなんてことはない男です。

とてもアーネスト・サトウに魔王と言わしめた男には見えません^^

この人、伊達に高い人気を誇るだけありませんwww
相当のことを成し遂げています。
実際僕の一番好きで、尊敬する人物です。

幼き頃の晋作

さて、晋作は1839年に長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)に長州藩士・高杉小忠太の息子として生まれました。
高杉生家
高杉生家

10歳の時に天然痘にかかっているそうですが、さすがは晋作。
無事生存しています(痩せているのはそのせい?)

松下村塾と吉田松陰

1852年に藩の明倫館(長州の藩校)に入学しています。

そして、1957年にあの吉田松陰が作った松下村塾に入学しています。

ph_01.jpg
松下村塾

松下村塾には後の最高の相棒になる久坂玄瑞、初代内閣総理大臣になる伊藤俊輔(博文)、奇兵隊の仲間でもあり朝陽丸事件の和解を成し遂げた吉田稔麿、鹿鳴館を作ることになる井上聞多(馨)などの同志たちが集まっていました。

松陰の晋作に対する評価は非常に高く久坂玄瑞と並んで松下村塾の双璧と言われました(そこに稔麿を加えると三秀、三秀に入江九一を加えると四天王になります。)

晋作に高い評価を残したのは松陰だけではなく吉田稔麿(松陰との血縁関係はありません)は久坂を坊主(医者の子だが堂々たるものという意味)、入江を木刀(えらいが真剣ほどではない)、山県有朋をただの木の枝(笑)
とすると暴れ牛だそうです。これは高杉の制御しなくては収拾のつかない性格を表しています。逆を言えば制御すればこれ以上の人物は望めないということです。後に明治政府の代表として活躍した山県が木の枝なのですから、生きていたら初代総理大臣は当たり前でしたでしょう。

image9.jpg
吉田松陰

image5.jpg
久坂玄瑞

1858年に江戸に留学します。

1859年には吉田松陰が安政の大獄で斬首になります。
その悲しみを胸に誓い、倒幕の意思を確固たるものします。

次回に続きます。
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